公認クラブ(津島)
クラブプロフィール
概要 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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理念 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◆組織理念 ・常に真剣かつ多面的に活動することにより総合力でトップチームとなることを目指し、競技の発展と普及に貢献する。 ・岡山大学の創造的発展に寄与する。 ・社会に貢献し活躍する人材となることを目指す。 ◆活動指針 ・岡山大学の代表としての意識を常に持つ。 ・生涯にわたり部を支える。 ・上級生がすべての役割を担う。 ・社会奉仕活動に積極的に参加する。 ・勧誘活動を積極的に行う。 ・全員で力を合わせる。 |
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沿革 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
O.U.H.Cは、1949年(昭和24年)春、新制大学発足時とほぼ時を同じくして創部され、事実上、大学運動部として活動を始めたのは同年9月である。創部にあたっては、中西OB、日野OB、大久保OBなどが中心となった。中西OB、日野OBは、ともに岡山二中(現 岡山操山高等学校)にてハンドボールの経験者であった。 中四国地域の大学において、ハンドボール部を創部したのは岡山大学が最初である。創部当時、顧問であった安田正二教授にご尽力をいただき活動を開始した歴史と伝統のあるクラブである。当時は、西日本大学選手権大会が主な大会であったが、1962年(昭和37年)5月に中四国学生ハンドボール連盟が設立され、設立にあたっては初代実行委員長を担うなど、連盟運営の中心的役割を果たした。1965年(昭和40年)に中四国学生ハンドボール選手権大会(秋季)1部リーグにおいて初優勝、以後5回、合計6回のリーグ優勝を飾っている。 女子部は、1976年(昭和51年)に同好会としてスタートし、翌年より本格的な活動を開始した。1982年(昭和57年)には、中四国学生ハンドボール選手権大会(春季)1部リーグで念願の初優勝を飾り、以後7回、計8回のリーグ優勝を飾っている。 現在は、競技成績だけではなく、大会運営、レフェリー人材の育成を含め、総合力でトップクラスの活動ができるように取り組んでいる。 |
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